まだ見ぬハナへ、アンへ、この世界を

妻と娘たちを愛でるブログ

ハナ誕生

昨夜、娘のハナが産まれました。妻と一緒に病院に行って妊娠が確定した日から、ちょうど8ヵ月です。

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この8ヵ月間、本当にいろんなことがあったなぁと、しみじみと思い返されます。
 ・初めて妻の妊娠がわかったときの喜び
 ・妻の体調の変化によるつらそうな姿
 ・何もできない自分のもどかしさ

男性側はいつもと同じような生活ができるけれど、女性はそうではありません。
 ・炊飯器や冷蔵庫の匂いに耐えられない
 ・吐きすぎて体重激減
 ・ナマ物、アルコール、カフェインを我慢
それでもこの8ヵ月間を頑張ってきた妻には感謝しかありません。

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性別が分かったのは前年の12月26日の検診でした。ただ、妻は内緒のままニヤニヤ・・・。大晦日の夜に、親族みんなの前でようやく妻が性別発表してくれました。切り開いたケーキの中からピンク色のクリームが見えたとき、自分に娘ができたと実感した最初の瞬間でした。妻の喜びようは見ていてとても微笑ましかったです。

それからハナの名前を決めるのも、二人で真剣に考えました。テンションが上がってしまい、こっそり命名書に書く習字の練習もたくさんしました。
こうした二人で過ごす一つ一つの思い出が、優しく思い返されます。

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初産ということもあり、予定日の6月11日になっても出てくる気配がありませんでした。このまま4日過ぎたら拷問並みに痛いといわれる誘発分娩になるとのこと。ハナ様どうか穏便に3日過ぎるまでにお越しくださるよう祈り倒しました。妻は単なる注射の痛さでさえ苦手なのだから。

ジジババたちも、妻にあせりが伝わらないように気を付けながらも、すごく気にしてくれました。

翌日6月12日の早朝5時、出血があって病院へ向かっが、まだ開きは1割程度とのことで、いったん家へ帰ることに。

6月13日の深夜23時半、再度病院へ。助産婦さんの診断が終わり、まだ開きは3割程度とのことでしたが入院することに。6月14日0時過ぎに陣痛室へ。里帰り出産だったのですが、コロナ禍のせいで他県から来た人は夫でさえ立会いできないルールとなっていました。飲み物を口元に持って行ったり、陣痛が強いときにテニスボールで押したり、何より妻の心の支えになりたかった。「ハナが待っているから」と、本当に妻はひとりで必死になって頑張ってくれました。母となる妻の強さに心が震えました。すぐ連絡に気付けるようにスマホを握りしめて待機することしかできなくて、自分の無力さにうちひしがれながらも、ひたすら無事を祈っていました。

昼12時、開きが5割に。妻がプリンを少し食べたら、ハナがはりきって動き始めたとのこと。

夕方18時、開きが7割に。

夜21時、開きが9割に。「いい陣痛が来てる」との報告を義母からいただく。

夜22時、全開となり分娩室へ移動。

夜23時02分、ハナ誕生。
部屋の外にいた義母から、産声が聞こえたとの速報が入った。緊張して固まっていた体に血が通いはじめたのを感じた。それと同時に、祝福と労いと感動と喜びと尊さと、、、いろいろな感情が押し寄せて、ひとまず電報という形で先ほど病院に送った。妻には薔薇を添えて、ハナにはプーさんのぬいぐるみを添えた。プーさん、いいお友だちになってくれるといいな。

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昨日から寝てないのに、今日も眠れません。何より、妻とハナが頑張り切ったことの尊さが、全てを凌駕しています。そして、妻もハナも無事にこの瞬間を迎えてくれてよかったと、喜びに包まれています。

父親として、妻もハナも、これからどんどん幸せにしていきたいと強く思います。

本当に妻には感謝です。

娘もよく産まれてきてくれた。うまく伝えられないかもしれないけど、2人にありがとうと何回でも言いたいです。

まだ妻は出産後の痛みに苦しんでいるでしょう。これからしっかり妻を支えて、育児も一緒にやっていきたいです。まずは退院の日に、ついに一家3人集まれるのが楽しみです。