まだ見ぬハナへ、アンへ、この世界を

妻と娘たちを愛でるブログ

因果関係

 今日は仕事から帰るとき、ここ1年間の娘たちの成長に思いを馳せていました。品川で乗った電車の中は、梅雨の匂いがしています。今日の品川は晴れていたので、きっとどこか雨の地域を通って、梅雨の空気と残り香を運んできたのでしょう。
 思い返せば、昨年の梅雨の時期は、アンが生まれたばかりで大変でしたね。泊まり込みで2ヶ月も助けに来ていただいたお義母さんには、感謝してもし切れません。
 その後は、自分も育児休職を2ヶ月とることができて本当に良かった。すこし乗り遅れたが、家族4人で過ごせる幸せな空気と、赤ちゃん特有の頭皮の残り香という、2つの大きな幸せがありました。

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 電車は錦糸町へ向け、いつのまにか地下から出て、窓の外は夜景が広がっていました。思えば、ずっとベビーベッドの中で寝ていたアンも、外を動き回るようになり世界が広がったね。アンの成長の過程をここに記録しておこう。
 10/7 ハンドリガード
 11/1 寝返り
 11/15 寝返り返り
 1/17 ズリバイ
 3/13 腰座り
 3/21 指差し
 3/22 名前を呼ぶと返事で手を上げる
 3/23 手を振って「バイバイ」言える
 3/28 左下から前歯が生え始めた
 3/29 つたえ歩き2~3歩
 4/1 コップ飲み
 4/19 ハイハイ
 4/20 「アーンチャン」と連呼

 

 ベビーベッドを卒業してアンのシングルベッドを追加したとき、姉のハナが「アンちゃん、ベビーベッド小さくなっちゃったから、大きいのにしたね。」と連呼していたのが印象的でした。ハナの言語能力の向上はすごい。因果関係をよく理解している。因果関係かどうか見極めるには、「原因だけを除いたとき、結果も発生しなくなる」ということを確認すればいいと言われるが、たしかにベビーベッドが大きいままなら新しいベッドを追加しなかっただろうから、論理的に正しい表現と言える。

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 最寄り駅に着き、家まで歩いているところで、つい近道がしたくなり、知らないアパートの横にある隘路を通り抜けていた。でも、最も早く家に着く道が、本当に最も良い道と言えるのだろうか?防犯用ライトの強い光が、よこしまな自分の心を照らした。
 いつだって必要なことは、自分の中での優先順位を確立することだ。海外留学?昇格?ブランド品?タワーマンション?幸せへの近道はいくつもあるけど、一番譲れないものは家族のサステナブルな幸せだ。それを最優先に考えれば、他の観点からは色々と限界が見えてくるだろう。でも、それでいい。この限界は、ポジティブな限界だ。堂々と自分の道を進めばいいのだから。
 自分の選択によって、人生は変化する。これも因果関係である。この世界は、自分の意思によってコントローラブルな部分が確かにある。指先のように直接動かすことはできなくても、意思は伝わり、未来は変わる。アンが指差しにより、自分の意思で未来の世界を少しだけコントロールできることを覚えたように、自分もそんな風に少しずつ成長していきたいと思った。

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 なぜ自分は帰りを急いだのか?なぜ自分はこの1年の娘たちの成長に思いを馳せていたのか?これらはきっと今日が、ハナの最後の2歳の日、アンの最後の0歳の日、ということが関係しているだろう。でも、1年という区切りに乗せられたのが原因と考えるのは不本意である。論理的に因果関係と言えるのか、また確かめてみよう。うん。たとえ区切りが無かったとしても、早く帰って家族に会いたいし、家族のことをずっと考えていたい。だから、これはそんな単純な因果関係じゃないね。なぜか家族のことになると、論理的ではなくなることがある。ハナ、アン、ただいま。そして、誕生日おめでとう。

 そしてもう1つ、毎回忘れてはならないこと。娘たちを妊娠・出産し、いつも家族を支えてくれている偉大なる妻にも、感謝を込めて、おめでとう。

アン誕生

昨日、次女のアンが産まれました。母子ともに健康で、出産の瞬間に立ち合うこともでき、感激で胸がいっぱいです。

この一介の人生の中で輝く、その美しき瞬間の有り様を、言葉として残せず死んだら化けて出るんじゃないかというくらいの神秘さを、うまく表現できる自信はないけど後悔の無いように、ここに記しておかねばと思った。

ー妊娠ー

2021年は初めから荒波の年だと心していました。長女の脚の手術は終わったものの、手術後のギプスを外せたのが7月21日で、それからも足が動かなくてずっと不安が続いていた中での妊娠でした。特に11月は妻のツワリが激しくて、心も不安定で、初めて1週間ほど遠くに住む義両親にて長女を預かっていただくこととなりました。その後も長女を見ていただくため、義母は遠くから来て下さったり、たくさん助けていただき、感謝してもし切れません。

その後、長女は12月3日に2~3秒立てるようになり、年末の12月30日には10歩くらい歩けるようになり、徐々に回復の兆しが見えてきて、少しずつ安心できるようになってきました。

ー性別ー

アンの性別が分かったのは、荒波の2021年が終わり2022年となった1月の12日でした。長女に続いて次も女の子ということで、うちの男性比率は33%だったのが25%まで低下しマイノリティに。

決定したアンの名前を呼びながら、妻のお腹を撫でていると、家族が4人になる実感がますます湧いてきて、幸せな時間が流れました。

ー出産ー

今回は計画分娩することとし、アンの成長度合いや病院の予定なども考慮して出産は6月14日に決まりました。奇しくも長女と同じ誕生日!とはいえ、それより前に陣痛が来て出産となる可能性もありました。6月9日に遠く神戸へ出張が決まったときは、アン様どうか穏便に6月10日以降にお越しくださるよう祈り倒しました。今回こそはどうか出産の瞬間に立ち会えますように。

6月14日が近づくとシジババたちも、妻をあせらせないように気を遣いながらも、ソワソワして連絡してきます。

長女は少し早めの誕生日パーティーをし、結局本格的な陣痛は来ずに6月14日を迎えました。長女は義母にみてもらいながら、いざ出産のため妻と一緒に病院へ向かいました。

9時頃、予定通り病院へ到着。
出産まで長いからと自分は強制的に帰される。
10時頃、バルーンを入れて、開きは2割へ。もともと、最初に妻がアンを抱くところを写真に撮りたいなと思っていたが、出産の瞬間もビデオ撮影できるらしいというノリノリな連絡が妻から入ってビックリする。
11時頃、陣痛促進剤の点滴を開始。
11時半、陣痛が5分間隔となる。
12時過ぎ、妻の背骨へ麻酔を開始し、陣痛が痛くなくなり、病院で出された昼食が美味しくて完食。
13時過ぎ、人工破水させ、開きは4割へ。
14時過ぎ、開きは5~6割へ。痛みが増してきたため麻酔を追加。
15時前頃、開きは7割へ。アンの頭が下がってくる。
15時過ぎ、陣痛が2~3分間隔となり、再度麻酔を追加。
15時半頃、長女を寝かし付けて1人でソワソワしていたところ、病院へ来ていいとの連絡が入る。病院へ再度急行。
16時頃到着し、分娩室のすぐ外の廊下で待機させられる。
16時過ぎ、分娩室の中から妻の「痛い痛い」という叫びが聞こえる。
16時半頃、出たり引っ込んだりしてるという説明を受け、何もできないことに無力さを感じながら、妻とアンの無事を祈る。
16時50分、ようやく分娩室内へ呼ばれる。
16時52分、無事にアン誕生。

まず白い胎脂でペッタリした髪が見えて、若干の血をまとった体が見え、羊水に浸っていて白くふやけた手が見え、そのまま臍の緒が繋がったままアンは妻の胸元へ。親指の爪が長い。鼻にはプツプツが浮いている。目は開こうとしても下瞼も一緒に上がってうまく開けられない様子。お腹の肌色と臍の緒の白色が不連続に繋がっている。アンの全てが新鮮で、見ているこっちの感覚がかつてないほど鋭敏になったかのような、不思議な出来事だった。

そして、妻への感謝と尊敬と畏怖と新たな生命誕生の神秘と愛と必死に出てきた健気さと・・・色々混ざって出てきた涙で視界が霞む中、妻の手を握りながら、アン誕生の喜びを分かち合うことができました。妻の胸元から、アンの、か弱く、でも力強い、初めての泣き声が響き、眼前の世界を優しく包み込みました。ようやく会えたねアン。ようこそ、この世界へ。

ーそれからー

出産の立ち会いから帰りながら、あいかわらず男性は出産に関して無力であることに思い耽った。だからこそ、これからどれだけ家族を幸せにできるかが男にとって大事で、そこで男の真価が問われるんだと思った。娘とはHLA遺伝子が近いので、女性特有の本能によって、いつか必ずクサイと言って嫌われるときが来るでしょう。しかし、それも必要な成長の過程であり、娘たちから嫌われながらも家族を幸せにすることが、男の役割であり男の幸せだと思っています。こう感じるのも、共感される間もなく外で狩りをしてくる必要があった男特有の本能なのかな?生命の神秘は奥が深い。

娘たちが巣立っていくその日はいつになるか分かりませんが、生まれたその瞬間から、別れの日は近付き始めます。だから、この出産の瞬間だけでなく、妻と娘たちとの全てのかけがえのない一瞬一瞬を大切にしていきたい。

後で妻と、お互い感動で涙が出たことを話してたら、妻は出産のときに出るホルモンのせいかな?だなんて、とぼけていた。なに強がってんのと問い詰めることもできるけど、そんな野暮なことはしない。いつか娘に嫌われるだろうという不安をホルモンのせいにして強がっている自分に似ていて、妻が何だか愛おしかった。早く妻とアンの退院を迎え、ねぎらいたい。そして家族4人で幸せに暮らしたいな。


※後日談追記)
分娩室だと思って立ち会った部屋は、実は麻酔等をするための手術室だったらしい。麻酔が効かなくなって再投与するためにこの手術室へ移動したが、脚が麻酔で麻痺して戻るのも大変だったためそのまま出産したとのこと。本当の分娩室はステンドガラスで飾られた綺麗な部屋だったらしく、そこで産めたらよかったのにと言っている妻であった。とはいえ、病院食が豪華だったらしく、満足げに何度も写真を見せて解説してきてたので、まぁ総じてこの病院で出産できて満足そうで良かった良かった。

まだ見ぬアンへ

もうすぐ母の日です。ハナとアンのお母さんである妻へ、尊敬と感謝を伝えたいと思います。

アン、この日記には初登場だね!まだお腹の中にいて直接会えてはいないけど、お腹を撫でると元気に動いているのが伝わるよ。出産予定日までもう1ヶ月ちょいとなりました。

アンという名付けは、厳しい寒さにも負けず、春になれば率先して花開き、やがて元気なオレンジ色の実をたくさんつける杏の木のように、実り多い人生を享受してほしいという願いが込められています。ちなみに花言葉は、その本質から離れて商業的に決められるものなので、あまり参考にしてません。とはいえ、春、一足先にピンクの花を開くので「乙女の恥じらい」と言われたりするのは可愛らしいと思うし、アンがそれを気に入ってくれるなら嬉しく思う。

ハナは色んなことができるようになり、まだ見ぬアンも妻のお腹の中で大きく成長しています。もちろんハナ自身もアン自身も頑張っているけど、妻の支えあってこその成長だから、みんなで感謝しよう。できれば、母の日だからっていうより、日頃からね。

家族にまた新たな命が宿って、思うことがある。ハナ、アン、本当の強さって何だと思う?昨日、妻と「この世界の片隅で」という映画を観ました。戦争で小さな子が命を失ってしまう悲しいお話しなんだけど、妻はその子を娘のように思い号泣していました。そんな妻を見て、強くなりたいと思った。そして、妻となら、強くなれると思った。本当の強さとは、自分の大切なものをどれだけ守れるかだと思った。今、日本は平和ボケしているけれど、隣の大国はウクライナに戦争をしかけています。平和は大事だけれど、見せ掛けの平和に騙されていては、いざというとき足元をすくわれるでしょう。戦争が無くたって、見えないところで社会は人間の認知バグを衝いたりして資産や可処分時間を奪い合っているし、誰も口にせずとも階級の断絶が進行しています。ハナ、アン、君たちの時代には、どんな強さが必要となっていますか?

こんなことを言うのは乙女じゃなくても恥ずかしいのだが、愛こそが一番の強さだと思う。10年後も20年後も、大切なものを守り抜くために一番必要な力は、筋力でもなく、知能でもなく、愛であることは変わらないと思う。今夜はまた新たな命を迎えるため、命名書の練習をしようかな。

一歳おめでとう

ハナ、生まれて初めての誕生日おめでとう!ハナにとっては「今日は大人たちがやけにテンション高くて疲れるなぁ」って感じかもしれないですが、1年はとても重要とされる節目なので許してね。

ずっとコロナ禍で大変な世の中が続きますが、ハナの日々の成長に励まされる1年間でした。0歳のハナ、たくさんの思い出をありがとう!
 ・9/21、100日記念のお食い初め
 ・9/22、お宮参りで号泣
 ・10/4、寝返り(左回り)開始
 ・10/19、寝返り返り(左回り)開始
 ・11/14、十倍粥から離乳食開始
 ・12/18、前歯(下左右2本)が生え始める
 ・1/1、喃語(バババ、パパパ)を話し始める
 ・2/18、前歯(上左)が生え始める
 ・3/9、ママの後追いを開始
 ・3/10、夜間授乳無しで朝まで寝るようになる
 ・3/17、母乳による授乳が最後となる
 ・3/19、パチパチ開始
 ・3/22、いただきます/ごちそうさま開始
 ・4/14、コダック芸開始
 ・5/3、急に「で↓き↑た↓」と喋り始める

特に頑張ったのはハナ自身でした。先天性股関節脱臼の治療は長くて、終わりが見えない闘いです。8割が治るというリーメンビューゲルで治らず、その中で8割が治るという介達牽引と徒手整復をしてプラスチックシャーレまで進んだけれどまた治らず、観血的整復固定術をするまで至ってしまった。ハナの綺麗な肌にメスを入れるという決断をするのは、胃が痛くなる思いでした。しかし、将来にわたってハナが苦しむことのないよう、妻と考え、残った傷について恨まれるなら全てを受け止めるつもりで先生にお願いをしました。

そして、妻の頑張りについてもハナにしっかり伝えたいです。1年前の今日、激痛に耐えながらハナを出産したことだけでもすごすぎて尊敬と感謝が絶えません。また、コロナ禍で外出や面会が規制されている中で、ハナの2度の入院に付き添いました。入院でないときも、核家族が一般的となった現代都市で、しかもステイホームが求められる中で、せっかく仲良くなれたママ友も故郷の新潟へ帰ることとなりましたが、それでも心細さにあらがいながら日々ハナの成長を支えています。ハナが大きくなれば、妻と衝突することも増えると思いますが、妻はいつもハナを一番に考えているかけがえのない存在であるということを、忘れないでいてほしい。

1歳になって、これからも急成長していくハナから目が離せません。ハナの幸せをずっと願っているし、絶対に幸せにする覚悟でいます。夫婦でハナの育て方について、「自己肯定感が持てるように育ててあげたい」と話しています。そのために、親として2つのことをハナに約束したいと思っています。

①まず、親である自分自身がハナにとって憧れでありたいと思います。そうすることで、ハナが人生に迷ったときも、1つのロールモデルとなるでしょう。だから、いろんなことを経験したり考えたりして、こういう風にブログを残したりしたいと思う。そして、大変な中でも人生を楽しむ強い姿を華に見せたり、充実した人生をハナに熱く語れるような、そんな大人になりたいと思う。

②もう1つは、ハナに沢山の適度な挑戦ができるようにしてあげたいということです。何も挑戦しないまま妄想する「自己全能感」ではすぐに崩れます。様々な挑戦をし、何度も挫折を乗り越えていくことで、自分の適正や進むべき方向、物事の本質が分かるようになっていきます。その過程で、能力や自信を磨き、それらをまた発揮し続けていくことで、周りの人たちを幸せにすることができます。これが、ハナの揺るぎない「自己肯定感」に繋がると思っています。

いつかハナとのこの2つの約束が果たせたら、「で↓き↑た↓」って言うので、パチパチしてください。ひとまず一歳では、股関節脱臼が無事に治って、いっぱい動き回って、いっぱい困らせてくれることを祈っています。明日、1歳になった華に会えるのが楽しみで、妻と一緒に誕生日パーティの飾り付けをしたところです。1歳のハナ、これからもよろしくね!

妻の好きなところ

 今日は結婚記念日なので、せっかくだから妻の愛するところを3点紹介したいと思います。恥じらい文化である日本では普及していないですが、「人を愛することの素晴らしさを子へ伝えること」も、親として大切な役割の1つだと思うわけです。

①1点めは、Think globally, act locallyができるところです。
 自分も含め多くの人は、思考の範囲と行動の範囲が一致してしまいます。Think and act locallyしすぎると、短期的で局所的な快楽ばかりを目的として動いてしまい、大局的に損をします。一方で、Think and act globallyしすぎても、周りの理解や協力が得られず結局何も達成できなかったりしてしまいます。その点、妻はとても器用に思考と行動を使い分けできてしまうのです。
 妻はCAとして世界中の多様な文化を知りつつも、日本の文化に忠実であり続けることができます。お互いド田舎から育って東京に出てきたという境遇を持ちながらも、妻は私と全く違う世界を知っているという点が、結婚したいと感じた理由として大きいと思う。妻はそんな広い世界を知りながら、おかずが3つあっても「一汁三菜が良いって言うじゃん」といいながら味噌汁まで付けてくれたりします。標準語と方言を相手によって切り替えられるのもすごいと思います。自分は仕事上、よくactもgloballyすぎる(いろんな立場の人に合わせて、地に足をついた行動をしていかないといけない)という指摘を受けていて、自分でも苦手だと思うので、器用な妻を尊敬していますし、とても頼れる存在に思っています。

②2点めは、目標を自ら定めて困難を達成できるところです。
 他人とした約束を守るのは当然ですが、自分自身とした約束を達成できる人は強い。妻はフェンシングを始めて国体まで出場しているし、韓国語を始めてペラペラになっているし、CAになることを目指して実際に就職し世界を飛び回って働いています。自分との約束を果たし成長することに幸せを感じられるようになれば、他人と比較して一喜一憂なんてすることがなくなり、芯のある人間となる。また、挑戦した経験がある人は、逃げ出さないことの価値が見に染み付いているし、より大きな挑戦ができるようになるので雪ダルマ式に人生が豊かになっていきます。
 新婚旅行先も、普通のバカンスじゃつまらないからと誘ったモロッコ案に全力で乗ってくれて、最高の想い出となりました。ハナを出産したときも、コロナ禍で面会もできませんでしたが、まだ見ぬハナのために一人で頑張ると誓い、その困難に立ち向かう姿に心を打たれました。妻とはいろんなことを乗り越えてきたし、これからも妻となら何でも乗り越えていける自信がある。5日後から妻は、ハナとの入院生活となります。コロナ禍のせいで1~2ヵ月、病院から出ることも面会することもできません。ですが、迷いなく着実に準備を進める妻の姿は、心強い。感謝と尊敬でいっぱいだし、退院したらいっぱい好きなことをさせてあげたい。そのために、自分もできることを最大限こなして、家族を支えたいと思います。

③3点めは、感受性が豊かなところです。
 人は大人になるにつれ、信じていた認識の枠を何度も壊され、そのたびに再構築しながら成長し、大義のために障害となる感情は薄れていきます。そしてやがて、美しいものを美しいと感じにくくなり、怖いものも怖いと感じにくくなるものです。
 妻も大人ですから、凄絶な過去をいくつも乗り越えてきていますが、それでも妻は純粋な気持ちを忘れていません。バッドエンドの映画は悲しくて見れないし、会ってもない上司の噂を聞いて怖がって悩み、ハナの注射に付き添うとハナと一緒に泣きます。そんな妻を見ていると、大人が忘れかけている大事な根元的な感覚を呼び戻してくれるような、神秘的な感覚になるのです。こんな純粋な大人は、自分の回りには妻の他にいないし、こんな妻とのコミュニケーションを大切にしながらより深みのある人生を共に構築していきたい。

 以上で3点を紹介しきったが、妻は三菜に味噌汁を追加してくれるので、自分も4点めを追加しようと思う。

④4点めは、とにかく可愛いところです。
 萩の月のような丸いほっぺも、三日月のように笑う目も全て可愛い。見た目も可愛いですが、大人と子どもが共存しているかのようなキャラも可愛い。描く絵も、口ずさむ歌も可愛い。強さも弱さも全てひっくるめて可愛い。怒っているときも泣いているときも可愛い。残りの人生をかけて大事にしたいと思える可愛さがある。華がこれを読む頃になっても、妻の可愛さは変わらないどころか、ますます愛らしい素敵な女性になっているでしょう。そんな妻に見合うように、自分も愛されるようなカッコいい歳の重ね方をしていきたい。

 ひとまず2年間の幸せをありがとう。そして、これからの一層の愛を誓う。ハナにも、愛する人ができるといいなと思う。最後に、妻が描いた可愛い象の絵をこっそり載せて締め括ろうと思う。
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ハナ誕生

昨夜、娘のハナが産まれました。妻と一緒に病院に行って妊娠が確定した日から、ちょうど8ヵ月です。

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この8ヵ月間、本当にいろんなことがあったなぁと、しみじみと思い返されます。
 ・初めて妻の妊娠がわかったときの喜び
 ・妻の体調の変化によるつらそうな姿
 ・何もできない自分のもどかしさ

男性側はいつもと同じような生活ができるけれど、女性はそうではありません。
 ・炊飯器や冷蔵庫の匂いに耐えられない
 ・吐きすぎて体重激減
 ・ナマ物、アルコール、カフェインを我慢
それでもこの8ヵ月間を頑張ってきた妻には感謝しかありません。

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性別が分かったのは前年の12月26日の検診でした。ただ、妻は内緒のままニヤニヤ・・・。大晦日の夜に、親族みんなの前でようやく妻が性別発表してくれました。切り開いたケーキの中からピンク色のクリームが見えたとき、自分に娘ができたと実感した最初の瞬間でした。妻の喜びようは見ていてとても微笑ましかったです。

それからハナの名前を決めるのも、二人で真剣に考えました。テンションが上がってしまい、こっそり命名書に書く習字の練習もたくさんしました。
こうした二人で過ごす一つ一つの思い出が、優しく思い返されます。

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初産ということもあり、予定日の6月11日になっても出てくる気配がありませんでした。このまま4日過ぎたら拷問並みに痛いといわれる誘発分娩になるとのこと。ハナ様どうか穏便に3日過ぎるまでにお越しくださるよう祈り倒しました。妻は単なる注射の痛さでさえ苦手なのだから。

ジジババたちも、妻にあせりが伝わらないように気を付けながらも、すごく気にしてくれました。

翌日6月12日の早朝5時、出血があって病院へ向かっが、まだ開きは1割程度とのことで、いったん家へ帰ることに。

6月13日の深夜23時半、再度病院へ。助産婦さんの診断が終わり、まだ開きは3割程度とのことでしたが入院することに。6月14日0時過ぎに陣痛室へ。里帰り出産だったのですが、コロナ禍のせいで他県から来た人は夫でさえ立会いできないルールとなっていました。飲み物を口元に持って行ったり、陣痛が強いときにテニスボールで押したり、何より妻の心の支えになりたかった。「ハナが待っているから」と、本当に妻はひとりで必死になって頑張ってくれました。母となる妻の強さに心が震えました。すぐ連絡に気付けるようにスマホを握りしめて待機することしかできなくて、自分の無力さにうちひしがれながらも、ひたすら無事を祈っていました。

昼12時、開きが5割に。妻がプリンを少し食べたら、ハナがはりきって動き始めたとのこと。

夕方18時、開きが7割に。

夜21時、開きが9割に。「いい陣痛が来てる」との報告を義母からいただく。

夜22時、全開となり分娩室へ移動。

夜23時02分、ハナ誕生。
部屋の外にいた義母から、産声が聞こえたとの速報が入った。緊張して固まっていた体に血が通いはじめたのを感じた。それと同時に、祝福と労いと感動と喜びと尊さと、、、いろいろな感情が押し寄せて、ひとまず電報という形で先ほど病院に送った。妻には薔薇を添えて、ハナにはプーさんのぬいぐるみを添えた。プーさん、いいお友だちになってくれるといいな。

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昨日から寝てないのに、今日も眠れません。何より、妻とハナが頑張り切ったことの尊さが、全てを凌駕しています。そして、妻もハナも無事にこの瞬間を迎えてくれてよかったと、喜びに包まれています。

父親として、妻もハナも、これからどんどん幸せにしていきたいと強く思います。

本当に妻には感謝です。

娘もよく産まれてきてくれた。うまく伝えられないかもしれないけど、2人にありがとうと何回でも言いたいです。

まだ妻は出産後の痛みに苦しんでいるでしょう。これからしっかり妻を支えて、育児も一緒にやっていきたいです。まずは退院の日に、ついに一家3人集まれるのが楽しみです。

まだ見ぬハナへ

これを読む頃にはハナも大きくなっていることでしょう。
今日、ハナの命名書を清書しました。
「ハナの人生が華やいでほしい」という想いを込めて。

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ひとまず、この「ハナ」という名前を気に入ってもらえると嬉しい。名付け親からしたら少しズレを感じますが、芸能人っぽいからとか、花が好きだからとか、華やかな女性でいたいからとか、気に入ってもらえるなら理由は何でも構いません。

一方で、どういう意味で父親がハナと名付けたのかも、いつか知っておいてほしい。

ハナが生まれてくるこの世界は、ツラいことも多いですが、それにまさる素晴らしいことがたくさんあります。そんな、素晴らしいことをたくさん見つけて吸収し、荒野に咲く花のように、幸せいっぱいに華やいでほしいと願っています。これが名付け親としての想いです。もともとは妻が提案してくれた名前でしたが、このような想いを込めて、決めるに至りました。

いつか必ずハナにも、人生に悩むときが来ると思う。そんなときに、少しでもこの名前がハナの背中を正しい方向へ押してくれる力になればいいなと願う。